2010年10月8日金曜日

フランスにて / パリでショーン・レノン


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 10月6日、パリ、夕刻になろうというリヨン駅。上野駅を思い出す。日本人の姿も見る。
 この日、コリンと私はパリでショーン・レノンのライヴを観ることにしていた。リヨン駅で買ったハムとチーズのサンドウィッチを齧りながら地下鉄に乗り、乗り換えること2度、リヨン駅の北に位置した場所で今夜のライヴは行われる。会場は20時、まだまだ時間があるが、チケットを買うために少し早めに到着しようとしていた。
 お店の前に着けば、もう数人の若い子たちが入り口前に座り込んでいた。私たちは近くのカフェでビールを飲んだ。久しぶりにキューッといただくビールはとても美味しく、このビール、因にベルギーのビール。小雨まじりのパリである。
 この界隈はどこか東京の南青山に似た街並みで、私はここがパリだという感覚があまりなかった。東京を歩いている時とほぼ同じ感覚なのだ、地下鉄に乗っていても同様で、違うのは切符の買い方と全てがフランス語だということだけである。
 19時頃だろうか、再びお店の前に行き、様子を見ていたら、コリンに話しかけてきた男性がいた。彼はカレーからショーン・レノンを見るために来たという。何やら立ち話になり、私たちはお店に隣接したカフェに腰を下ろし、またビールを飲んだ。小さな道ばたのテーブルを囲んで、フランス語と英語が飛び交う。通訳はいつもコリンである。
 やがてお店の前には人がたくさん集まり始め、会場となった。この店舗の外観はどこかエキゾティックで、"空豆"や"月見る"を連想していたが、中に入ればそれは西洋式で、おおよそ名古屋クアトロくらいのスペースだろうか? 本番までは会場からまたかなり時間がかかり、お客はまず、飲みながら歓談である。店内は禁煙、だが、喫煙スペースが道路側に設けてあって、そこは人で溢れている。ライヴ・スペースの奥にはガラス張りになった部屋があり、ここには椅子やテーブル、ソファーがあり、のんびり座れるようになっていて、私たちはそこで始まりを待っていた。美味しそうなのでピザも食べた。で、勿論、ビールも飲んだ、お代わりして。
 21時になる頃、漸くスタートしたが、前座と呼ぶべきか否か、そのようなアーティストの演奏がふたつあり、かなりじらされる。
 22時になり、シヨーン・レノンとシャルロット・ケンプが漸く登場した。私の立ち位置からはショーンの姿はほとんど見えないのだが、シャルロットの顔は見えた。とてもキュートです、はい。
 私がライヴを観ながらビールを飲むのは何ヶ月ぶりだろうか? おそらくそれは昨年から数えるべきことだ。まぁ、そんなことはどうでもいいが、私はお代わりのビールとライヴハウスという気分にご機嫌だった。演奏はサラリとキュートに行われ、ショーン・レノンはなかなか努力の人であると感じた。ギターの音がとても良かった。十分ビッグ・ネームであることが可能にもかかわらず、案外裏街道的な試みをするのも興味深い。洗練されたゲリラである。
 彼らは次にロンドンに向かう予定らしい。
 そう、ショーンの描いたとおぼしき絵がプリントされているTシャツを購入。そういえば、私も売り子さんを日本でしていることもあるな、と、思い出す。
 そしてパリに見る女性たちは美人が多い。
 ところでフランスは歩き煙草が許されているようで、そこいら中で歩き煙草の人を見るが、女性(30代以降が特に)が目立つ、老女においても、で、ある。

 帰りはリヨン駅から深夜のバスに乗った。電車は終わってしまったのだ。24時を過ぎていた。
 バス停でバスを待てば、黒人がたくさんいる、それからパキスタンかバングラデシュ人が数名、白人種も数名。で、バスが到着し、次々に乗り込んでいくのだが、私たちが乗ろうとしていたら目の前で黒人同士の喧嘩が始まった。一瞬のことで、いきなり殴り合いである。自分が殴られる必要はないと解っていても刃物が出て来たら物騒だと思っていると、コリンが私の手を引いて脇に避けた。同じ黒人たちが数名喧嘩を止めに入ったが、その中には女性もいた。喧嘩が道ばたへ移動したので私たちはバスに乗ったが、すぐに警察が来て悶着を解決していたようだ。
 私はバスの中でうとうとしていた。

 帰宅して、数種類のチーズとオニオンを挟んだサンドウィッチを食べて、まだ2日分飲まなければならないお薬を飲んで眠った。
 このお薬、飲むと眠くなるのである。

 結局、エッフェルに上るでもなく、モンマルトルを歩くこともなくフォンテーヌブローに戻って来たわけだが、パリ見物を特にしなかったことが惜しいとも思われない。きっと、パリにいたら、それらが毎日見えることに感じ入るのだろうが、私はパリにいない。
 これは東京にいて、いつも東京の名所を身近に感じていなくても平気で西の東京で暮らしていられることと同じで、私はどうやら、どこにいても自分のスタイルが変わらない人間とみえる。

 私は私の事を、やはり、少し変わった人間なのかもしれないと感じるようにはなった。 
 地味に暮らそうが何をしようが、素朴にだけはなれないらしい。
 だからといって、自我が強いわけでもなく、どちらかというとフワフワしながら人生ここまで来たが、何だろう、何に対してかはともかく、少なくとも負けたくはない、と思うことが多くなった。
 私は、物事を放置するようになっていたかもしれない、いや、それは少女の頃からか?
 しかしこんな簡単なことはないが、後でその放置したもののために時間を平気でかける。
 洗練されたゲリラのようになろうと思ったなら、時間が必要だ。
 贅沢とは、私にとって、ただ、「時」である。

 時計をあまり見ない生活というのも、いいものである。

 何故なら、私はこの国に来てから太陽の角度でおおまかな時刻を感じているのだから。
 
 
 pics : 10/6 in Paris Sean & Charlotte's concert




2010年10月6日水曜日

フランスにて / マーケットと呼吸


       10.2_Colin3


 そう、日曜日はこの地域のマーケットに出かけ、とてもチープな鍵盤とアイリッシュ・ドラムを購入した。
 とても穏やかなマーケットで、日本の焼き物などもあった。雨上がりではあったが暖かく、日が射せば半袖でも十分なくらいで、この日は初めてフランスのマクドナルドに入ったのだが、注文したのは"ビッグ・テイスト"というビッグ・マックとクウォーター・パウンダーをひとつにしたようなサイズだった。

 昨日は早い時刻に買い出しに出かけ、お昼は森の中のテーブルでサンドウィッチのお昼をした。
 軽井沢辺りを走っていて、ふと脇道に入って行ったらこんな場所があった...などということがあったら素敵だと少女の頃から想っていたが、フォンテーヌブローの森の中には本当にあった。コリンが言うには、ここはあまり人が訪れないところなのだとか。
 しかも、そこにパラパラと雨が落ちてくるところなども、あたかも軽井沢のようであり、ちょっと新鮮なお昼だった。

 午後は練習でございます。
 コリンの曲に、8分の6拍子の美しくシンプルなトラッド風の曲があるのだが、この曲を中心にウォーミング・アップ、私も鍵盤を弾いたり、リズムを叩いたり一緒に演奏した。
 人にはそれぞれ演奏の癖のようなものがあって、私が人のことを言うのもナンだが、その人のテクニックではなく、当然、呼吸や乗り方を一応知る必要がある。話が少し逸れるが、以前、お芝居の音楽の録音の際、中尾さんがドラムを叩いたのだが、その日、私は彼のドラムでピアノを弾くのは初めてだったのだが、彼のぶっ飛ばしように驚いたものだった。お話はここフランスに戻るが、私はそのような訳で、コリンの呼吸を知る必要があった。ポール・サイモン、ディラン、コーエン、ヤング、アメリカ、キース・リチャーズ、ウディ・ガスリー...実に、彼はたくさんのシンガーソングライターの楽曲を弾き語ってくれるが、先日"Tangle up in blue"を弾き語った彼はディランさんも苦笑するくらい独特のスタイルで演奏しはじめたので、私は最初、コリンが何を弾いているのか解らなかったくらいだ。
 呼吸を知ることは、相手の心を知ることに似ている。音楽は人間の人柄を表す。私と彼は音楽の素晴らしさを表したいばかりではなく、むしろ、人間の素晴らしさを表したいのではないかとさえ思える。
 そして感じるのは、私たちは形式にこだわりすぎてきたのかもしれないということである。
 この形式については、いつの時代にも破ることをしようとした人たちがたくさんいることを知っているが、私が今言いたいのは、形式を壊すということではなく、治まりすぎず遊ぶということなのだ。
 ええ、遊んでいるようにまずは何か出来たらいい。それが理想だ、苦しまず、纏めてみたい。
 きっと、そのように、最初に遊ぶように、ひとつ作ることができれば、これから愉しいだろうな。

 お夕食はチキン、ラム、玉葱、ガーリック、ズッキーニ(日本のサイズの倍です)、ピーマン(これも倍のサイズです)のトマト煮とクスクスをお料理した。


 明日はパリに行く。
 その後、数日のうちに南の別荘へ向かう予定になっている。アルルの街が楽しみである。
 そして南仏では、譜面書き、プラクティスは勿論、創作その他、いよいよ、色々とやるべきことがある。


 神様、病気だけにはしないで...


 pic : Colin "peace!"


 Risa




2010年10月3日日曜日

フランスにて / メルンとシャトー


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 10月2日、熱がほとんど下がったようなので、用事も含め、お隣の街、メルンまで出かけた。
 ここのところ、夜に雨が降り、明け方は曇っていて、午後になると晴れ間がうかがえる日が多いが、気候はそれほど寒すぎることもない。雨上がりの今朝など、目で見る色よりも肌て感じる空気は暖かい。
 メルンまでは一時間くらいだろうか? いや、もっと時間がかかるのか、ともかく私は近頃あまり時計を見ない。

 用事を済ませてカフェでサーモンを挟んだバゲットのサンドウィッチを丈夫な歯で齧りながらエスプレッソを飲んだ。パラッと雨も落ちて来たが、すぐに止み、その後マーケットを覗いたりブティックに入ってみたり、教会に入ったり、楽器屋さんに寄ったり、そしてスーパーで少し食材その他を購入しメルンを後にした。
 その頃は、もう、コートを羽織っているのが暑いくらいだったが、フォンテーヌブローに向かう道を走りながら車内から見る木々の葉の色は少しずつ変化していて秋らしいといえば秋らしいが、それ以上に目を惹くのは、美しい家々の様子だ。石造りのがっちりした建物に蔦が絡まっている光景は随分見て来たが、フランスは今まで私が訪れたヨーロッパのどの国よりもそれぞれの個人宅が醸し出す姿が独特である。これは、統一されていないためだと思うが、例えば、ザルツブルグなど、確かに美しい建物があったが、色や形のバランスをとることによる整頓された美なのだが、ここフランスは、その統一という気配が無い。やはり個人が強いのだろう。こういう国家の舵取りをすることは難しいだろうと感じた。
 フランスにいてフランスで暮らす人たちと一緒にいるので、自ずと話題がフランスの話になることがあるわけで、コリンは毎日必ず政治的な話をする。ヨーロッパの国家間の関係、アメリカとのこと、また、アフガニスタンについて、など、日本のニュースではほぼ話題にならない事情なども語ってくれる。そうして思うのは、やはり西洋の外交はお金の力は勿論なのだが、表面上には浮かべない、深い奥底の力と力の取引に似た賭けが繰り返され、それを比べ合ってきた歴史の長さを思い知らされるような気がする。
 窓の外は時に青木ヶ原を走っているような景色になるが、空はここの方が広く感じる。何故なら、このフランスという国は、平なのである。
 
 さて車はフォンテーヌブローへ戻ってきたが、コリンはまっすぐに帰らず、別の道に入った。
 そして彼が指差したのは、緑の向こう側に白くひっそり建っている宮殿だった。
「あれは昔はシャトーだったが、今は学校になっている」
 私たちの乗った車は宮殿の門をくぐり、駐車スペースに停車した。
「少し歩こう」そう言って、彼は建物のこと、学校のことなどを話してくれた。
 これは、離宮と呼ぶ方がよい建物だろう。ウィーンやサン・スーシ宮殿でも見る事ができる"水の美"を象徴し、またそれを自由にできる栄光者の権力の徴と考えたくなる庭園の美に、庭園の静かな美しさにうっとりした。が、それは静けさこそあっても、日本にない美にうっとりしているのではなく、その光景が、あまりに今の自分に当然のことのように存在していることにうっとりしていたのだろう。

 何だかもうすっかり病気が回復したような気がした一日だった。
 静かな穏やかな一日だった。
 

 pic1: Colin/market
 pic2 : Colin/cafe
 pic3 : chateau


 10月2日 フォンテーヌブローより


 つづく



2010年10月1日金曜日

フランスにて / 21 September


9.22#_F


 9月21日の早朝、連休明けのラッシュを少しズラすように時刻を選び、悉く重いスーツケースを持ち上げたり蹴り上げたりしながら成田に向かう。フライト時刻は11:50分、徹夜だった私は飛行機に乗り込めば出てくる機内食をいただき、後は眠っていようと思っていた。
 ところが、私の隣の席に座っていたやや風変わりなダンディが話しかけてくれたことで眠るどころではなかった。
「南仏ですか? いいですね」と、目をろくに通してもいないママンから借りたフランスのガイドブックをパラパラとめくっている私に声をかけてくれたこの男性、年の頃は50代半ばと思われる。
「ええ、滞在先はフォンテーヌブローなんですがね、その後南の方に行くかもしれなくて」
「イル・ド・フランスからですか、距離がありますよ、でも、フランス人は車をすっ飛ばしますし、たいした距離とも思っていないかもしれませんがね、オランジュはいい所ですよ」
 聞けば、彼は以前5年間フランスに暮らしていたのだという、オランジュに。どうもビジネスマンにも見えないし、観光の人とも思えない。色々話していたら、彼が某国立大学の物理化学の教授だということを知った。
「で、先生は何を研究なさっているのですか?」
「宇宙の誕生です」
 ということで、宇宙の誕生についての解説が始まった。私は実に宇宙の誕生に興味がある者なので、あれこれうるさく先生に質問しながらその研究経過にまつわる論(というか証明のスタイルとでも言いたい)を聴いていた、いいものである、大人も大人という年齢になって、フランス行きの飛行機の中で物理学の講義を無料で聴いているのである、これはエール・フランスのオマケか、と私は幸運な気分だった。そして私も先生に私の渡仏理由をお話したら、今度は音楽の話になり、こちらが解説することになった。先生の向こう隣に座っていたこれまた奇策で風変わりな派手な年配の御夫人が、「お話が合うようですのね」と言って、私たちに微笑んだ。
 で、先生はパリで乗り換えてモロッコへ行くのだという、学会があるのだそうだ。
 機内食はまずまずであり、私はシャンパンを最初にいただき、次いでビール、白ワインと少しお酒も楽しんだ。先生もよく呑んでおられた。
 ド・ゴール空港でお別れする時、先生は私に名刺を渡してくれた。何故か私は旅先で見知らぬ人と話をする機会が多い。

 さて、フランスは17時15分、空港に到着、これは予定通りなのだが、飛行機を降りる時にやや待たされ、また出口までの距離が長かったせいもあり、荷物を受け取って出口に私が現れたのは、17半をすでに回っていた。
 気がつけばかなり肉体的に疲れていて、私はひどい顔をしていたかもしれない。が、ふと見れば、ツィードのジャケットを着て帽子を被ったハンサムでほっそりした背の高い男性がニッコリ笑って私を認めたと思ったら、こちらに歩み寄ってくる。彼である。
 私はコリンの顔を見て、思わずほっとして泣いてしまった。彼は私の重たいスーツケースを持ちながら車の所まで私を連れて行く。助手席に座った私にシートベルトを閉めてくれる。窓を開け、車は走り出した。
 丁度夕方のラッシュアワーの時間帯でもあったので、パリの街の外側を走っているハイウェイは所々渋滞するのだが、その渋滞が過ぎるとどの車もぶっ飛ばしている。車よりも「そこ、どけ!」と言わんばかりに走り去っていくのはバイクである、どうやらフランスの交通事情において最も権力があるのはバイクで、次に車、歩行者は比ではなさそうでもある。
「リサ、ここがプリンセス・ダイアナが死んだ場所だよ」と、彼が言う。そう、私はここに到着する前から彼にダイアナが事故にあった場所を訊こうと思っていたのだった。
 外は明るい、18時を過ぎてもまだ太陽が輝き、私はここが異国だと解ってはいても、不思議にもさしてそれを気にしていなかった。そう、これまで西洋に降りた時は、その瞬間、必ずその土地が異国だと意識したものであり、感じる空気も日本と違うように思えたものだが、9月21日の夕刻のフランスに、私は優しく抱かれたような心地だった。
 気がつくと車は郊外を走っていた。彼が指差しながら私に言う。
「Risa、見てごらん、こちら側には太陽、そして向こう側には月があるよ」
 ああ、それは淡いブルーの空に浮かぶ美しい沈む橙の太陽と上りはじめた白い月だった...車は太陽と月に左右から見守られるように走っている。
 やがてフォンテーヌブローに入っていく。その頃、漸く暗くなった。
 コリンは車を街に止め、少し何か食べようといい、私たちはハンバーガーを食べ、私はビールも飲んだ。そこは石畳の小さな街角で、私は或る映画を思い出していた。
 そして更に緑の中を走り、到着した石造りの家である。
 翌日、コリンは私たちのユニットに名前をつけた...Corilsani...と。


 pic : Corilsani


 10月1日 ベッドにて


 つづく